白い視界に脈絡はなく 綾久々
そろそろ春というには、暑い季節となってきた。麗らかというには強すぎる陽射しが、じんわりと肌を焼く。
こんな日は、外で授業などやらないで、部屋にこもって床にへばりついていたい。
木の床は、少しは冷たいだろうから。
「次!綾部」
「はい」
暑さにぼんやりとした視界を抱えながら、呼ばれるままに綾部は一歩進み出る。
手裏剣の基礎授業。綾部は苦手ではなかったけれど、時に大きく集中力を欠くのが難だった。
一発、二発。僅かに的を外れて地面に鈍い音を立てて転がる。
「綾部喜八郎、不合格」
半分以上が狙った場所にいかず、ついに不本意なお言葉。
「居残りですか」
「そうだ。次!」
綾部は右の掌を見つめて、開いては閉じ、閉じては開いてを繰り返した。
暑さに、感覚が鈍くなっている気がする。
大きくため息。
「なんだ。今日は調子が悪いな」
トボトボと。投げる順番を待っている同級生たちの横を通りすぎて、後ろの方へと向かう途中、ポンッと肩を叩かれた。
「滝夜叉丸」
いつでも元気そうな顔。
「体調が悪いなら、新野先生に診てもらえよ?」
それでもどこか心配そうにしてくれる級友に、綾部はうんと一つ頷いた。
空では太陽が、もっと高いところへと、のぼりつつある。
「鼻血出そう」
「先生にはうまく言っておいてやるから、行ってこい」
まかせた、と一言置き去りに、綾部はその場を後にする。
歩くほどに視界がどんどん霞がかり、今更ながらに体調の悪さを、綾部は思った。

 

春も夏も、嫌いではない。産まれたのはちょうど、この頃合いなのだし、苦手というわけでもないのだ。暑さにも寒さにも、強い方だと思っている。
ただ、疲れた。
「失礼します」
戸を押し開けば、スッと消毒液のにおい。独特の草花の匂いとか。
「・・・新野先生?」
しん、と静まり返った部屋の様子に、僅かに綾部は首を傾げた。
人の気配が、あったように思うのに。
しかしよく耳を済ましてみれば、微かに寝息が、衝立の向こうに。
「・・・」
綾部の気配にも声にも目覚めないなんて、腕の立たない下級生か、そうとう、弱っているとでもいうのか。
綾部は好奇心を抑えきれずに、そろりそろりと、衝立へと足を運んだ。
いつの間にやら、自分の体調の悪さなどは忘れていた。
もう少し。気配に変化は見られない。爪先に力を込めて、衝立の向こう側へと、身を乗り出そうとした。その時

「綾部」

ギシッと、綾部の足の下で床板がきしんだ。
綾部は息を飲む。グラリ体が傾いで、尻餅をついた。
クスクスと衝立の向こう側から笑い声が聞こえる。
「そんなに驚いたのか?」
ゆっくりと、身を起こすその気配。
「大丈夫?綾部」
立ち上がった、その人。
「久々知、先輩・・・」
久々知はニコリと、優しく綾部に微笑みかけた。
「今日は、暑いね」
真っ青な顔に、汗をかいている姿は、本当に体調が悪いのだろう。
けれどいつから気付いて。いつからが、罠で?
綾部は自分はなんて体調が悪いのだろうと、ため息を吐く。
ムラがあってはいけないのに、体調が悪い時の綾部は、どうにも集中力を欠き過ぎている。
久々知は綾部の心を見透かすように、スイと手をのべて、綾部の青ざめた頬を撫でた。
「新野先生はいないよ。良ければオレの隣においで」
熱で潤んだ目。ほだされる。
「綾部・・・冷たくて、気持ちいい・・・」
腰の高さまでの衝立越し。
コツリと額を合わせたと思うと、熱い唇同士が触れあった。
「・・・あついですね」
綾部はぼんやりとした視界の中で、ただ一心にその熱を見つめた。
「やはり私は、授業に戻ります」
真っ直ぐに見つめて、それだけを告げた。
「そう」
赤い唇が、弧を描いた。
「お大事に、久々知先輩」
「綾部も」
低い衝立の向こうに、久々知の姿は消えていく。
惜しいことをしているかもしれない。
けれどこれでは、負けてしまう。
こんなにも集中力を欠いた状態で、共に在る資格はないと、綾部は思う。翻弄されるだけでは、悔しい。
「おやすみなさい。久々知先輩」
声はもう、返らなかった。
こんなにも安心しきって寝られてしまうのが、少し、いや大分、悔しかった。

 

再び外へと出れば、日は真上にあって、ますます視界は白く塗り潰されていく。
せめてこの状態で、百発百中、手裏剣を当てられるぐらいにならなければ。

大きく息を吸えば、どこからか花の香りが肺を満たした。
甘さが胸にしみた。
【2008/05/06 15:42】 携帯から | トラックバック(-) | コメント(-) |

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